愛のことば

54歳、妻子と住宅ローンあり、不安障害とうつを抱える男が闘病と仕事に就くためにもがき続ける毎日をつづるブログ

幼稚園だった頃の取り残され体験

今回は、昔話を書いておこうと思う。

 

もう、40年以上も前になるけれど、僕が幼稚園に通っていたときのこと。

 

僕が通っていた幼稚園には、ちょっとしたジャングルジムのような遊具が園庭にあり、

 

外遊びの時間に、そこで遊んでいたのだった。

 

 

その遊具は、鎖で作られた、なわばしごがあり、

 

それで遊具の上部へのぼることが出来たり、

 

ロケットの形を模して、操縦席があったり窓があったりした遊具だった、

 

と記憶している。

 

 

僕はそのとき、鎖で出来たなわばしごを登る最中だったか、降りる最中だったか

 

はしごの隙間に両足がすっぽりとはまってしまい、おなかの所まで体が入り込んで

 

自分ひとりの力では、抜け出すことが出来なくなったのだった。

 

 

僕は自分で何とか抜け出そうと必死になってもがいていたけれど、

 

痩せて細い体型だったのだけど、もがけばもがくほど、おなかの身が鎖に食い込んで

 

全く身動きが取れなくなってしまったのだった。

 

 

そのとき、ヒーローごっこかなにかをしているつもりで遊んでいたのだと思う。

 

近くにいた友人(だと思っていたけど、今思えばそいつは友人でもなんでもない)に、

 

「たすけてくれ」と何度か呼びかけて助けを求めたのだけど、

 

そいつは僕に見向きもしなかった。

 

 

そのうちむなしく時間だけが過ぎていき、

 

教室へ入る時間になって、教室のほうから「お入りの時間ですよー」と声がした。

 

わらわらと、園庭で遊んでいた子供らが教室へ帰っていく中、

 

僕は鎖のはしごが体にめり込んで抜けられず、

 

焦って何とか抜け出そうともがいてみるものの、やはり抜け出せない。

 

 

もう一度、近くにいた男の子に「たすけて」と呼びかけたが、

 

そいつは僕の呼びかけを無視して、他の皆と一緒に教室へと駆け戻っていった。

 

 

僕は、遊具の冷たいくさりのはしごにからまって、独り園庭に取り残された。

 

「おーい、たすけて、おーい、たすけて、」

 

今これを書きながら思い出した。

 

僕は何度も、周囲にいた「友達」に助けを何度も求めていたこと。

 

でも、誰一人、僕のことを振り向いてくれる人間はいなかった。

 

 

僕は、そのとき人生ではじめて、「絶望感」を味わった気がした。

 

絶望感というと大げさに聞こえるかもしれないけれど、

 

自分のことを誰も見向きもしてくれない、自分が必死でヘルプを求めているのに、

 

誰も僕の声が聞こえていない、という状態を味わって、

 

途方に暮れてしまったことは間違いない。

 

 

僕は独り、何度も何度も自力で抜け出そうと

 

必死になって、何度ももがいたことは覚えているけれど、

 

そのうちだんだん悲しくなってきて、無力感で全身の力が抜けていくのを感じ、

 

園庭で、力なくぐったりと鎖のはしごに絡まっているしかなかった。

 

 

 

何分間ぐらい、そうしていたのかあまり覚えていないけれど、

 

僕の所属している教室の方から、声が聞こえてくたのをはっきりと覚えている。

 

先生の声で、「●●くんは?なんでいいひんの(いないの)?」

 

担任の先生が、僕が教室にいないことに気がついて、子供らに問いかけたときに

 

僕は驚くべき声を聞き、驚くべき光景を目にしたのだった。

 

 

僕が必死になって助けを求めていた「友人」が、教室の戸を開け、

 

園庭の遊具で、鎖のはしごに独り絡まって動けなくなっている僕を指差し、

 

「●●くん、あんなとこにいはる(あんなところにいる)」と叫んだのだ。

 

 

今でもはっきりと覚えている。40年以上も前の出来事なのに。

 

そのあと、教室から先生と、子供らが出てきて、

 

遊具の鎖のはしごに絡まっている僕を取り囲んだ。

 

 

そのとき「友人」は「何やってんの?」と笑い、僕を指をさしたのだ。

 

同時に皆がどっと笑い、僕は先生に救出されたのだった。

 

 

「友人」に対し、こいつは一体なんなんだ、とそのとき思った。

 

 

他人に対するはっきりとした「不信感」が、僕の中に生まれた瞬間だった。

 

そして、取り残される、ということに対する嫌悪感・不安感・恐怖感が

生まれた瞬間でもあった。

 

 

カウンセリングに通っていたとき、カウンセラーに、

 

その当時の僕をしっかりと癒してあげる必要性を説かれた。

 

 

カウンセリングワークの中で、大人になった僕が、

 

園庭で、一人ぼっちで取り残されている僕のところへ行き、

 

絡まった鎖を解いて、助け出してあげて、抱き締めてあげるというものだ。

 

 

何度かそのワークをやったけれど、僕の取り残され不安は解消されない。

 

やはり、取り残されることがとても怖いと感じる。

 

仕事の残業に強い抵抗を感じる原因も、そこにあるような気がする。

 

大昔の体験が未だに、自分の中で「終了」していないんだなと感じる。

 

あの小さかった僕は、冷たい鎖にからまって動けなくなっていないか、

 

もう、自由になっているのか、

 

これを書いていてだんだん苦しくなってくる感じがするってことは、

 

まだ、きちんと癒せてないのかな。