愛のことば

54歳、妻子と住宅ローンあり、不安障害とうつを抱える男が闘病と仕事に就くためにもがき続ける毎日をつづるブログ

心配症

9月30日水曜日が終わり、同時に9月が終わってしまった。もう明日から10月。

目まぐるしく過ぎていく日々の中、目の前の事だけしか見ることが出来ず、

未だ世の中の多くの音に怯えて生きている僕もこの10月で51になる。

 

今朝も起きるのにかなり時間を要し、出勤時に号泣した。

薬なんかまったく効いてない。抗不安薬全然効いてない。

 

僕はいつからか心配症になったな、と今日考えていた。

子供が出来てからが顕著に心配症になったと思う。

別に子どものせいではない。

子どもへの愛ゆえに、あれこれと「心配」するようになったのだ。

 

ただ、今思うのは、「心配」は何の役にも立たない。

心配しても、心配の原因が取り除かれるわけではなく、

むしろ、今現在の心の平穏が乱され、ネガティブにものを考える傾向になる。

 

心配しすぎてもしかたない。転ばぬ先の杖は必要かもしれないけれど、

健全な精神状態でない時には、増幅してくる不安のせいで冷静な判断ができなくなる。

 

今日上司からまた新しい作業工程をやらされるという話を聞いて、

気持ちがどんと落ちた。でも、心配しても仕方がないのだ。

給料が上がるわけでもないのに、あっちこっち勝手にお前のさじ加減一つで

人をコマのように扱いやがって、と腹立たしく思うけど、やるしかないんだよ、実際。

 

今夜も薬飲んだ。心の中が荒れ狂っている。また悪夢をみなければいいけど。

もう寝よう、今週は長い。僕は、よく生きている。

それでいいんだ、それでいいんだよ。