愛のことば

54歳、妻子と住宅ローンあり、不安障害とうつを抱える男が闘病と仕事に就くためにもがき続ける毎日をつづるブログ

慇懃無礼、という言葉の見本

よくそれだけ毎日、人に対して嫌な言い方が出来るよな、

と思うおばさんがいる。

 

今日もそのおばさんのせいで倍以上に疲れた。

僕はよくやっていると本当に思う。

仕事でエネルギーを消耗するのではなく、

殆どのひとは、無駄な人間関係で、心をすり減らして、

心のエネルギーを消耗してしまっているんだなと思う。

 

そのおばさんは、

まさに慇懃無礼、という言葉の見本だと思う。

一見、相手に対して敬意を払っているように見えるけれど、

実は相手を見下し、自分の優越感を確認しているだけの人間。

 

仕事は、看護師をしているんだという。

悪いけれど、僕は看護師をしてはいけない人種だと感じたし、

最も看護師の適正から遠い人格だと感じた。

 

何年生きているのか知らない。でも焼き上がりが「それ」だから、

そういう人生を送って来たんだなと思う。

今日はあまりに腹に据えかねたので、ついに存在を無視した。

 

そのおばさんはいつも、満面の笑顔で話しかけてくる。

声のトーンをあげて、世間で丁寧だといわれる言葉をつなげながら、

「人の心を土足で踏み荒らす」行為を平気で行う。

 

そのおばさん看護師の存在がどうしてもいやで、

「どうしても生理的に合わないのでここでは働けません」

と、「名言」を残して、正社員就職した若い女性が、

2週間で退職してしまったというのも、なんとなくうなずけるし、

 

そのおばさんが嫌で退職する職員が後を絶たないのも何となくわかる。

 

でもおばさん本人は全く気がついていないらしい。

色々な意味で「鈍感」なんだろう。

 

鈍感でいられる、ということは、

今の時代、もっとも生きるのに必要な感覚かもしれない。

 

少なくとも今の僕にはない感覚だから、

少しは鈍感にならなきゃいけないな、と思う反面、

 

面白くもないのに、満面の笑みを作れるような人間と、

丁寧そうな、品のありそうな言葉を使っているものの、

人の事を見下して自分の優位性を示すような人間にはならないでおこうと思った。

 

とにかく心の中にヘドロが溜まった気分になった一日だった。

ああ疲れた。今日はあんまりよくない一日だったけど、

明日はもう少しいい一日だったらいいのにな、と思う。