3月30日火曜日が終わった。同じ職場で働いているベトナム人の女の子が
時々話しかけてくれる。彼女らは皆、明るく、とてもよく働くし応援したくなる。
片言の日本語で、一所懸命話してくれるので、こちらも真剣に聞こうとする。
他愛もない雑談なんだけど、とても貴重な会話だと、僕は思っている。
今日は出勤前泣くことはなかった。明日有給を取ってあることも関係あるだろう。
とにかく不安が増幅してこなかったことが一番の要因。
僕が泣くのはプレッシャーの開放、ストレスの発散の意味も大きいし、
小さい頃から泣くことで気持ちを収めてきたところがある。
だから僕は、鬱と不安症を患ってから、泣く事にブレーキをかけない。
それこそ涙が枯れるまで泣くしかない、と思っている。
いい年をした男がおいおいと泣くのだ。めそめそするのだ。
しょうがない。そうやって歳を重ねて来たんだから。
だから僕は悲しい時はもちろん、辛い時、しんどい時、苦しい時、
涙を流して泣く。感情の赴くままに泣く。気が済むまで泣く。
うれし泣きの時は人前でも泣くようになった。
でも、いつも苦しい時に泣いている涙は、犬しかしらない。
泣いていると、犬が近くに寄って来て、涙を舐めて慰めてくれる。
僕の泣いているのを、いつも心配そうに見ていてくれる。
今夜も薬飲んだし、もうそろそろ眠ることにしよう。
つかれたな、お疲れさま、僕。おやすみ。