愛のことば

54歳、妻子と住宅ローンあり、不安障害とうつを抱える男が闘病と仕事に就くためにもがき続ける毎日をつづるブログ

涙が枯れるまで泣くしかない

3月30日火曜日が終わった。同じ職場で働いているベトナム人の女の子が

時々話しかけてくれる。彼女らは皆、明るく、とてもよく働くし応援したくなる。

片言の日本語で、一所懸命話してくれるので、こちらも真剣に聞こうとする。

他愛もない雑談なんだけど、とても貴重な会話だと、僕は思っている。

 

今日は出勤前泣くことはなかった。明日有給を取ってあることも関係あるだろう。

とにかく不安が増幅してこなかったことが一番の要因。

僕が泣くのはプレッシャーの開放、ストレスの発散の意味も大きいし、

小さい頃から泣くことで気持ちを収めてきたところがある。

 

だから僕は、鬱と不安症を患ってから、泣く事にブレーキをかけない。

それこそ涙が枯れるまで泣くしかない、と思っている。

いい年をした男がおいおいと泣くのだ。めそめそするのだ。

しょうがない。そうやって歳を重ねて来たんだから。

 

だから僕は悲しい時はもちろん、辛い時、しんどい時、苦しい時、

涙を流して泣く。感情の赴くままに泣く。気が済むまで泣く。

 

うれし泣きの時は人前でも泣くようになった。

でも、いつも苦しい時に泣いている涙は、犬しかしらない。

泣いていると、犬が近くに寄って来て、涙を舐めて慰めてくれる。

僕の泣いているのを、いつも心配そうに見ていてくれる。

 

今夜も薬飲んだし、もうそろそろ眠ることにしよう。

つかれたな、お疲れさま、僕。おやすみ。