愛のことば

54歳、妻子と住宅ローンあり、不安障害とうつを抱える男が闘病と仕事に就くためにもがき続ける毎日をつづるブログ

「期待」なんかいらない

この頃本当に思うのは、

期待って本当に、「百害あって一利なし」

だなということ。

 

いや、むしろ期待よりも、

 

期待がはずれたときの「裏切られた感」を持ってしまうのがうんざりなんだ。

 

期待は、無意識にしていることが多い。

昨日仕事の面接に行ったのだけど、その可否連絡が明後日のPM5:00まで。

それまでに連絡がなければ、不採用だと聞いた。

 

このときすでに、僕の中で「期待」が生まれていることに気が付く。

明後日のPM5:00まで、僕の携帯電話に連絡が来ることを

勝手に「あてにして」心待ちにしている自分が、いつのまにかいる。

 

採用の可否なんて自分では全くコントロールできないのに、

なぜか、採用連絡をあてにしている自分がいる。

採用連絡が来るという根拠なんて、どこにもないのに。

 

でも、勝手に期待をしてしまうことに関しては、ある程度仕方ないのかなと思うけど、

 

この「勝手に持った期待」が、不採用になった時。

僕の場合、期待が裏切られたと感じて、

勝手に期待し、あてにしていた自分を責めてしまったり、

それが次の行動を起こすときの不安を生み出してしまう原因になっている。

 

少なくとも自分が今まで生きてきた人生の中で、

期待が何かの役に立ったことなんて一度もない。

 

やることをやっていれば、やったことすら忘れていても、結果が出るときは出る。

 

期待しようがしまいが、結果の良し悪しには何ら関係がない。

 

僕には、調子が悪いときに限って、「期待」してしまう傾向がある。

どうかうまくいってほしい、次はどうか良い結果、良い知らせが届いてほしい。

しんどいことが続いているときほど、一つのことに対して固執してしまうし、

「期待」してしまう。

 

 

ようするに、

こちらのエネルギーが弱っているときほど、

他人が自分の都合の良いように動いてくれるように妄想してしまいがち

になってしまう。

 

他人の行動が自分の思い通りになるなんてこと、超能力でもあるまいし

現実の世界ではそうそう都合のいいことは起こらない。

 他人をあてにするよりも、自分を信じて行動するほうが大事。

 

期待は、勝手に「あてにして」いるうえに、「待っている」ので、

その思惑が外れた時、裏切られたような、損した気分になるのだ。

 

期待なんていらない。期待していることがわかったら、忘れるようにしよう。