愛のことば

54歳、妻子と住宅ローンあり、不安障害とうつを抱える男が闘病と仕事に就くためにもがき続ける毎日をつづるブログ

自分をきちんと守ってあげることが出来なかった

木曜日はしんどい。

 

月曜日と木曜日は一週間の中で、僕にとって疲れを感じやすい日だ。

 

今朝もいつもと同じように一人泣いて布団から抜け出た。

 

まだまだ、一日の始まりが怖い。あたらしい一日が怖い。

 

 

今日もぼくは自分なりにではあるけど、一生懸命働いていた。

 

施設では人が足りない、ということらしく、誰も応援をしてくれる人がなく、

僕一人で右往左往しながら、何とか業務をこなしていた。

 

よくそういう日があるし、そういう時間帯がある。

 

ちょっとした時間が空きそうになれば、その時間内にできる仕事を見つけては

自分から自主的に何かの仕事をやっていくようにしているのだけど、

 

でも、これって、必要じゃないとわかった。

今日はその点についてはっきり認識できる日になった。

やらなくていいんだ、そうはっきりと思った。

 

管理職員が偶然通りかかったとき、僕が次の仕事にうつるときで

手が空いているように見えたのだろう、

 

そこだけをみて、まるでいちゃもんのような指摘の仕方をされた。

 

自主的にやっている仕事の評価は全くされないが、

慣れない仕事の結果の粗さがしだけされた、と感じた。

 

ここで、こういう愚痴を書いている、ということは、

その時、きちんと反論することができなかった証拠で、

自分をきちんと守ってあげることができなかった証拠でもあるんだ。

 

素直に僕に謝りたいと思う、ごめんな、僕。

 

別に感情的になる必要はないけれど、

「そこ」だけ見て文句を言うな、ということを、管理職員に、丁寧に伝えればよかったのだ。

 

でも、まあいいし、もういい。

すでに過去のことなので、一切反省も後悔もしない

しょせんは小さい事なのだ。気にしない、気にしない、だ。

 

でも正直、小姑みたいな指摘で、かなり頭にきたけれど。

 

 

そういえば、子供の頃から30代くらいまで、僕は「怒り」が原動力だった。

しっかりとそう認識していたし、いつも何かに怒りを抱いていた。

 

今思うと僕は、自分を無視する自分にいらだっていたし、すべてのものや人に

怒りや苛立ちを感じていたのだろうと思う。

 

きちんと自分と向き合って、自分がどうしたいのか、自分が何を恐れていて

どうして肝心な時に勇気が出せないのか、どうして、言うべき時にきちんと自分の本心、本音をいうことができないようになったのか。

 

そのいら立ちが僕の心の中に常にあって、あらゆるものを敵視していた気がする。

 

それは多分、本音を外に出せず、大切な人にも言う勇気も出せず、悲しくて拗ねてしまった、まだ幼児期の古い記憶が、こころのどこかにあるのかもしれないと思う。

 

心が砕けた今、僕は何が原動力かといえば、何もない。

心が空っぽのまま、毎日を頑張って生きているだけだ。

 

だから余計に、今日のいちゃもん指摘が、心の傷に触れたんだろう。

昔の僕なら、瞬間湯沸かし器のように激高していたと思うけど、

今の僕には、それほどのパワーはない。

 

終わったことを、くよくよと考えるのはやめよう。

できたら今日あったこと、全部忘れたところで、特に支障はない。

 

ああ、きょうも、よく頑張った。

どんな形であれ、僕は今日という日を生きたんだ、それだけでOKだ。

生きて、生き抜こう。それだけ考えて生きていこう。