6月30日火曜日、一日中雨の日だった。
今日は仕事が生産調整で自宅待機だったこともあり、
出来るだけ仕事の事を考えずにすごし、コーヒーを飲み、犬を撫で、
夕方実家の母親の顔を見に車で行った。10分も滞在していない。
お互い変わりない、それだけ確認してすぐにとんぼ返りした。
母親の顔を見れた、僕の顔を母親に見せた、それだけで充分だと思う。
それだけで充分だと思うんだ、うまく言葉に出来ないけれど。
昨日もらった薬、ジェイゾロフトはやはり下痢をする。
ビオフェルミンも飲んでいるけど、下痢せずうまくきいてくれたらいいのだけど。
明日の仕事の事は極力考えないようにしていたけれど、
妻から給料が少ないことを話されて、急激に気分が落ちていった。
でも、生産調整は僕のせいじゃないし、給料が少ないのも僕のせいじゃない。
僕は毎日泣きながらも、決して欠勤せず出勤し、毎日最後まで勤務している。
僕は僕が今出来ることを必死でやっている。その結果が不十分なだけだ。
時々、自分の家に居場所がないように感じることがある。自分の家なのに。
僕は一体いつ、どこにいれば安堵できるんだろう。
自分がいつ死ぬかわかれば、そのときには確実に死ぬのだから、
そのときまでは何とか生きようと思えるだろうか。
死ねないから生きているだけ、そんな風に感じる今がつらい。
仕事の憂鬱・不安・怖さが心の中でよどみ、居座っている。
生きる、ということに前向きになれないなんて・・