愛のことば

54歳、妻子と住宅ローンあり、不安障害とうつを抱える男が闘病と仕事に就くためにもがき続ける毎日をつづるブログ

自分がいつ死ぬかわかれば

6月30日火曜日、一日中雨の日だった。

今日は仕事が生産調整で自宅待機だったこともあり、

出来るだけ仕事の事を考えずにすごし、コーヒーを飲み、犬を撫で、

夕方実家の母親の顔を見に車で行った。10分も滞在していない。

 

お互い変わりない、それだけ確認してすぐにとんぼ返りした。

母親の顔を見れた、僕の顔を母親に見せた、それだけで充分だと思う。

それだけで充分だと思うんだ、うまく言葉に出来ないけれど。

 

昨日もらった薬、ジェイゾロフトはやはり下痢をする。

ビオフェルミンも飲んでいるけど、下痢せずうまくきいてくれたらいいのだけど。

明日の仕事の事は極力考えないようにしていたけれど、

妻から給料が少ないことを話されて、急激に気分が落ちていった。

 

でも、生産調整は僕のせいじゃないし、給料が少ないのも僕のせいじゃない。

僕は毎日泣きながらも、決して欠勤せず出勤し、毎日最後まで勤務している。

僕は僕が今出来ることを必死でやっている。その結果が不十分なだけだ。

 

時々、自分の家に居場所がないように感じることがある。自分の家なのに。

僕は一体いつ、どこにいれば安堵できるんだろう。

 

自分がいつ死ぬかわかれば、そのときには確実に死ぬのだから、

そのときまでは何とか生きようと思えるだろうか。

死ねないから生きているだけ、そんな風に感じる今がつらい。

仕事の憂鬱・不安・怖さが心の中でよどみ、居座っている。

生きる、ということに前向きになれないなんて・・