愛のことば

54歳、妻子と住宅ローンあり、不安障害とうつを抱える男が闘病と仕事に就くためにもがき続ける毎日をつづるブログ

時間の長さ

今週1週間、仕事へ行くことができた。

まずはそれが出来た自分を褒めたい。

 

しかし、この歳になるまで

 

アルバイトを含め、履歴書に書ききれないほどいろんな仕事をやってきたけれど、

仕事をしているときの時間の長さが、異様に長く感じる。

 

家で過ごす5分が、仕事をしているときの5分と同じ時間の長さだとは、

とても思えないのだ。

 

昔は趣味と呼べるものなどがあったし、それに没頭しているときも

あっという間に時間が過ぎてしまう感じがした。

 

子供がまだ小さいとき、一緒に遊んでいるときは幸福感に包まれ、

ほんとうに時が過ぎるのをあっという間に感じた。

 

でも、仕事に関しては、全然違う。1分、1秒が異様に長く感じる。

 

それは多分、僕にとって、「仕事=苦行」だからなんだろう。

 

仕事が楽しければ、おそらく時間は今のように長く感じることはないし、

 

苦痛に感じることもないんだろうと思う。

 

実際、以前自営でやっていた仕事が調子良かったときは、仕事が楽しかった。

 

学生のときのアルバイトを含めて

 

履歴書に書ききれないほどの職種を経験してきたけれど、

 

そのほとんどの仕事で僕は、時計ばかりを気にしていた。

 

あと何時間たてば終業だとか、

 

後何分経てば帰れるだとか、

 

仕事から解放されるまでの時間を常に気にしていた。

 

1時間いくら、という働き方、つまり時間給で仕事をしていたから、

 

 時間を気にしてしまうのは、当然といえば当然なのだけど、

 

仕事自体を楽しめていないし、楽しめなかった仕事のほぼすべては、

 

お金のためだけに「イヤイヤ」「しぶしぶ」やっていたし、

 

平たく言えば、勤務時間中ずっと「我慢」していたに過ぎない。

 

それがいつごろからか、「仕事は我慢するもの」だという意識的なすり込みが出来上がったんだろう。

 

自分の人生の時間を大事にするには、ここを何とかしないといけないな。

 

そんな風に感じている。

 

だって、人生も半分以上生きてしまったし、

 

冗談抜きで、自分の身にいつ何があるか、わからない年齢になりつつある。

 

 

 

今の仕事は始めたばかりだけれど、やはり時計ばかりを気にしているし、

 

仕事そのものに「苦行」というイメージを持たなくなれば、

 

もっと生き易くなるかもしれないな、と思っている。

 

今の仕事に対して、楽しさを感じたり、無我の境地になることが出来たら

 

今の苦しみも少しは軽くなったりするのかな。

 

 

昨夜、心療内科へいって診察してもらい、思っていること、

考えていることを、そのまま吐き出してきた。

 

早期覚醒がまた起こってきたので、眠剤の薬を一種類増やした。

少し眠れたらいいな。

 

 

ともあれ、今週、僕はよくがんばった。

毎朝3時ごろ早期覚醒し、泣きながら朝起きて、塞いだ気持ちを抱えて仕事へ行った。

 

しんどかった。ほんとうにしんどかった。

 

でも、今週はなんとか勤務終了だ。お疲れ様、僕。

 

今夜は深い深い、泥のような眠りに落ちたい。